本日は両親が物置の整理をしていて、そこからは私が中高生のときの思い出の品も大量に出てきました。
久しぶりに取り出して懐かしく思ったものの99%捨てることに。
勉強に使ったノートに、賞をとった書道・硬筆の作品に
思い出の品、といっても教科書やノートなど主に学校で勉強に使ったもの。
特別勉強を頑張った方でもなかったけれど、学校ではそれなりにノートをとっていたので大量の勉強用ノートがとってありました。国語、英語、数学、地理、生物……などなど。
パラパラと中を見ると我ながらきれいにノートをとっていて「私頑張って勉強してたなあ!」と思えてきます。
努力の証のように見えて、過去の産物ながら不思議と自己肯定感が高まる品々。
ノートをきれいにとっていたからといって内容が頭に入っていたか?というとそれは別で、きれいにノートをとることが目的になっていたところもあったんだけどね。
当時はきれいにノートをとることで自己満足してました。
他に目を引いたのは賞をとった書道や硬筆の作品。
学校の代表になると放課後や休日に別途練習したり宿題を出されたりして、他の人の何倍も書いた覚えがあります。
それだけに思い入れが深い。
久しぶりに見てみると「我ながら上手いじゃん!」とこれまた自己肯定感が高まったりもして。
自己肯定感が高まる品々を惜しいと思いつつ迷いなく捨てられた理由
ノートや作品など頑張っていた頃の自分が垣間見れて、捨てるのが惜しい気持ちでした。
が、殆ど迷いなく捨てられました。
何故ならしまっていたダンボールの中がとにかく汚くて虫の糞が溜まっていたから。
しまってあった物置は母屋より建付けが悪い上、10年以上ほぼ開封しなかったダンボール。
そりゃあ虫……多分ゴキブリの住処になっていても不思議ではない。おぞましい……!
ノートの中や作品そのものは表面上はきれいでしたが、それでも糞まみれのダンボールの中に入っていたかと思うととても持っておく気分にはなれませんでした。
そのため漢検と英検の合格証書だけは一応救出して、それ以外は全部捨てることに。
書道と硬筆の作品は特に惜しい気がしたけれど、写真にとって保存することでお別れできました。
左上は生物のノート、左下は硬筆作品、右側は書道(書き初め)作品。
どれも捨てるのが惜しいと思いつつ、全部断舎離しました。
最近の断捨離で確執のある父のことを改めて尊敬する
今日の断捨離を始め、最近は両親も物を整理して捨てています。
私が断捨離し始めたからとか、何か言ったからとかいうわけではなく本当に偶然、2人も物を整理し始めたようです。
その様子を見ていて思うのは父の潔さ。
最近は親世代の人たちが物を捨てられないことに子供世代が悩む話をよく耳にします。
先日も愛読しているブログ「cozy nest 小さく整う暮らし」にてこんな記事が書かれていました。
ものがない時代に生まれ育った世代は「どうしても、ものを買うことがやめられず、捨てることができない」というのは本当にそうだろうなと理解出来ます。
私の父もまさにものがない時代に生まれ育った世代。(通常のアラサー両親世代よりもっと上です。)
だからもっと物を捨てられなさそうに思うのだけれど、案外潔く捨てている。
なんなら10年下の母の方が捨てるのに躊躇している。多分こちらの方が普通なんだろう。
私の引きこもった主要原因には親の過干渉、特に父からの過干渉があり、父とは何かと衝突することが多いです。

それでも決してすべてが嫌いなわけではなく、尊敬できるところも多々あります。
その1つとして今回の物置整理で見た父の合理的なところは素晴らしいなあ、と改めて感じる。
未だに衝突することやお互いに理解できないこともあるけれど、こういう気持ちも忘れないでいよう。
そう強く思いました。
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