以前昔の友人へ手紙を出してみたという記事を書きました。

この記事について「その後はどうなりましたか?」と質問を受けたので、結果について書きたいと思います。
引きこもりが原因で友達0人になった私が昔の友人へ手紙を出した結果…
結論を先に言いますと、手紙を投函して1週間ほど後にそのまま家へ戻ってきました。
手紙には「あて所に尋ねあたりません」と赤いハンコが押してあり、調べてみるとこのハンコが押されている場合「あて先の住所に受取人が居住していない。」のだそうです。
つまり引っ越して住所が変わり、新しい住所への転送期間(通常1年間)も終了しているということ。
手紙が戻ってきてこの理由にあたったとき、
「やっぱり5年以上経てば住む場所も変わるかー」
と残念なような、少しホッとしたような気持ちになりました。
手紙がちゃんと届いて相手から良い反応があれば一番いいけれど、手紙が届いたところで良い反応が返ってくるとは限らないから何もなくて少しホッとした…という感じです。
しばらくして「昔のメールアドレスがまだ生きているかわからないけど、「手紙出したら戻ってきたんだ」とメールしてみようかな?」と思っていたものの、実行できずに今に至ります。
結局相手には何も届かなかったので、私の「誰かに繋がりたい」計画?は振り出しに戻りました。
友達が居ない状況がラクだなと思っている自分も居る
手紙作戦(?)は失敗に終わったわけですが、とはいえそこまで暗い気分でもありません。
なぜなら友達0人という状況もラクではあるよなーと思っているからです。
思えば引きこもり始めた頃
「しばらく友達との連絡を断てばそのうち寂しくなるだろう。その時また連絡すればいいや。」
と考えていました。
が、自分が思っていたほど寂しくなるようなことはなく、案外一人で快適に過ごせるものだなと思ってしまったのです。
同時に思ったのは、多分再び友達と呼べる存在ができる or 過去の友人と再び繋がるようなときにまた寂しさを感じるのだろうということ。
友達が居た頃を思い返すと、友人関係が広く深く活発になるほど相手のことを考えたり些細なことが気になったりして寂しさも感じていました。
現在はといえばそんな友人関係は一切ないので、気になることもほとんどない。(「ほとんど」としたのは、極稀に昔の友人のSNSを見て凹んだりするので。基本見ないようにしているけどたまに見てしまう。)
加えて私は元々1人で行動することも好きだったので、学生のときは友達とも出かけたり遊んだりするけれど、1人で買い物へ行ったり美術館などへ出かけたりラーメンなどを食べに行ったりしていました。
そんな私としては友達が居ない現在でもまあまあ楽しくやれているというのか、あまり苦じゃないのです。
とはいえ友達と過ごすのも元来好きだったので、時々「こんなときに友達が居たら…」と思うこともあります。
特に自分が好きなもの(音楽など)に対して感情が高ぶったときは、こういうとき昔は友人と語り合って楽しかったなあ…そういう人が今もいたら楽しいかもなあ…とは思います。
あとがき
一人がラクだなあと思いつつ、ずっとこのまま一人というのもあまり良くはないんじゃないかな?と思う自分も居ます。
人間一人では生きれないですしね。
今思うのは昔の友人と再び繋がるのも一つの手だけれどもう一つ、新たに出会う人がいればそちらの関係を築いていくのも一つの手かなあ?ということ。
昔の友人と繋がるというのは色々しがらんでしまって(そう思っているのは自分だけかもしれないけれど)ハードルが少し高い。
だから無理につながろう!と頑張らなくても、新たな出会いがあるのならばそれを大切にすればいいのかも?とも思っています。
もちろん昔の友人ともいずれ繋がる機会があれば、それもいいなあとは思うけれど。今は必要ないというか自分の準備が出来ていない(≒怖い)のかもしれない。
複雑な乙女……引きこもり心(?)ですね。
引きこもりになるまでの経緯や以前の友人関係についても少し書いてます↓


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