ニートは偉そう?批判を気にして0になるよりマイペースに1がいい

2018年まで5年以上完全な引きこもりニートだったみずです。

現在は外へ出るようになり、ネットでお小遣い程度のお金を稼ぐようにはなったものの、相変わらず自立出来ないでいます。ほとんどニートに近いです。

多くの引きこもりニートの例にもれず?私のメンタルは基本的に激弱。いわゆる豆腐メンタルです。

だからこうしてブログで様々な意見・主張を書きながらも「ニートのくせに偉そうだな」と思われているんじゃないか?と怖くなることもあります。

それでもブログを書き続けているのは、いつの日からか「他人の批判を気にしてゼロになるなら、マイペースにでも1にしたい」と思うようになったから。

今回はこの考え方に至った経緯などを書いていきます。

 

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ニートは甘え、偉そうと批判する人は助けてくれない

インターネットでニートについて検索すると「ニートは甘え」「ニートは偉そう」「ニートは言い訳」……などなどニートに関するネガティブなワードが目に付きます。

実際ニートである私はこれらの文言を読んで「本当にその通り。ニートやってるのって甘えだよなあ。言い訳だよなあ。」と思い心にグサッとくる。

私は先述したようにメンタル激弱なので「ニート」関連の検索をすること自体極力避けている節もあります。怖くなるし、ひたすらネガティブになって暗闇のどん底へ落ちていくように感じるから。

(今回の本筋には関係ないけど、ニートってワードが検索しづらくなっていることもニートを脱出したい人にとっての足枷になっている気もする。)

しかしながらニートに関するネガティブワードを書いている人のことを考えてみてふと気づいたのです。

こうして批判している人たちは当のニートのことを助けてくれないよなあ……と。

別に助けてほしい!と言っているわけではないです。ニートは様々な義務から逃れているわけですし、批判されてもしょうがない面があることは自覚しています。

ただ、誰かわからない他人の批判に落ち込んで嫌になって行動しようとしていたことを止めてしまうのは違うんじゃないか?と思うようになりました。

助けてくれない他人の批判で勝手に落ち込んでやっぱり止めた!と行動を止めることが一番もったいないです。その行動で何か変わるかもしれないのに。

 

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批判を恐れて行動を止めるより、マイペースでいいから行動したい

前項で書いた「行動」とは具体的に何かというと、例えば私で言えばブログを書くこと。

他にも何でもよくて、「絵を描きたい」「楽器をやりたい」「何かを作りたい」といったアウトプットから、「本を読みたい」「映画を見たい」といったインプットでも。

こうして何かしたい・やりたいことが出てきたとき、「でもニートのくせに偉そうって言われちゃうかな」「ただでさえニートで甘えてるのにやるのはおこがましいかも」などと思うことがかなりあります。自意識過剰かもしれないけれど。

でも何にせよ行動したい!と思うことは、ニートで部屋に引きこもって何もできないときよりは進歩しているはず。

少なくとも行動しようと思える元気が出てきていることは間違いない。

だから他人の批判を恐れて行動を止めるのではなく、自分のペースでいいから、例え1でも0.1でもいいから何かしらの行動を起こしたい。

行動しなければ何も起こらないけれど、0.1でも行動すれば何かのきっかけになるかもしれない。

そう思うようになりました。

 

もちろん他人の批判を気にしなかったとしてもニートの保護者、親や兄弟姉妹などとの関係もあるため全てを簡単に出来るわけではないかもしれません。

でももし家族以外の他人からの批判だけを恐れているのならば、その恐れを超えて行動してほしい。

こう書きながら一番自分自身に言い聞かせています。

 

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あとがき

昨年8月以来の「ひきこもり・ニート」カテゴリーの記事でした。

毎度ながら引きこもりやニート関連の記事を書くのは精神力を消費します。

自分自身がまだ完全に自立して回復できたわけじゃないので、偉そうなことを書きながら自分はどうなのよ?と常に問い続けられている感覚です。

しかしもしも私と似た状況の方がこの記事を読んで何かのきっかけになったらいいなと思い書いています。

なんというか、一緒に少しでも前へ、良い方向へ進めたら。

こんなこと書きながら私自身も三歩進んで二歩下がる状態なので、落ち込んでは消えたくなる日も未だに沢山あります。

頑張ろうとかうるせえ!と思うこともあるので、一緒に頑張りましょう!なんてことは言いません。肩肘張らず頑張らずにいきたいですね。

最近思うのですが「頑張らねば!」「努力しなきゃ!」と考えれば考えるほど頑張れない気がします。

私はここ1~2年ほど「~せねば」「~しなきゃ」と思うことを極力止めていますが、行動量としては「~せねば」「~しなきゃ」と思っていたときと大して変わらないです。

むしろ「~せねば」「~しなきゃ」思考は行動にブレーキをかけているとさえ思います。

極力止めているとはいえまだ思ってしまうこともあるのですが、この思考は可能な限り手放したいものです。

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